熊本の水の話

坪井川周辺ほか、熊本の水源を散歩します

熊本の水源を歩く

次々と干上がっていく水源地。その変遷を歩きます

はじめに

 熊本の水源地を歩こうと思い立ったのは、我が故郷、八景水谷の激変ぶりを肌で感じていたためだ。

 

 八景水谷水源地といえば、江戸時代に細川綱利公のお茶室があったことで知られる。

 公は、船に乗って坪井川を遡り、熊本城から八景水谷へ通われた。

 坪井川、そして八景水谷にそれほどの水量があったのだ。

 

 明治時代に入ると、熊本市上水道を通すことになり、その水源地に選ばれたのが八景水谷だ。八景水谷の農民たちは、そんなことをされては水がなくなると、焼き討ち事件まで起こした。しかし、熊本市全域の水道の水源とされても、当時は心配されたほどに水は減らなかったようだ。

 

 ここまでのことは、私は書物でしか知らない。

 

 時代は下って昭和50年代。八景水谷にまだ水はあった。清らかな水が自噴し、人々の喉を潤し、池の水量は大人の腰ぐらいまであった。池には美しい水草や綺麗な小魚、川エビ、アメンボ、色々な生き物がいた。そして、ホタル。初夏には驚くほどたくさんのホタルが乱舞していた。

 ところが、昭和60年代に入る前に突然ホタルが消え、水も引いた。

 八景水谷公園ばかりでなく、周辺の水源の水もばったりでなくなった。

 周囲の大人たちに私は聞いた。「なぜ水が出なくなったの?」と。

 大人たち曰く「都市化して近代化したから」「人口が増えたから」。

 大人たちもはっきりとはわからないようだったが、私はなんとなく納得するしかなかった。「そういうものなのだ」と。

 しかし、子ども心におかしいと思った。これらの変化は、徐々に起こったのではなかった。私の記憶が正しければ、わずか数年のうちに起こったのだ。

 

 そして、昭和から平成を越え、令和に入った現在。

 八景水谷公園の池にはまだ水がある。ポンプで地下から水を汲み上げて流しているからだ。しかし、一見の美しさとは別に、かつて水源地で見ることができた、小さな生き物たちを見かけることはないように思う。池も水量が少ないせいか澱みがちだ。

 

 そして、たまたま熊本の他の水源地に行く機会があったのだが、水がなくなっていることに驚いた。記録ある限り、百年以上も変わらず水を湛えてきた水源の水が止まっている。

 

いったい熊本に何が起こっているのだろう。

 

 ネットで調べてみても、例えば坪井川について調べてみると、ウィキペディアに載っているのは、加藤清正時代の坪井川の大改修だ。昭和にも大改修はあったし、平成にもあったろう。そこはサクッとスルーして、いったいいつの時代の話ばかりしているのか。

 

 「熊本の水は地下水だから安心・安全」「地下水だから美味しい!」などと、行政のスローガンは喧しい。だが、実際のところどうなのか? 

 私は歩いて調べてみることにした。