轟水源(宇土)
熊本市中心部から国道3号を南へ車で30分ほど、天草への玄関口にあたる宇土市。
ここに「現存する日本最古の上水道」、轟(とどろき)水源はある。
水の土木遺産:轟水源と轟泉水道 | 一般社団法人九州地方計画協会
標高約220mの白山山麓に湧いており、周辺は格好のハイキングコースだ。
宇土はかつての城下町でもある。
江戸時代に細川支藩3万石が置かれたが、海に近い宇土藩は水に困っていた。
そこで、2代目細川行孝が轟水源から城下4.8kmに及ぶ水道を引いた。1663年のことである。
宇土駅はかつての城下町から外れた場所にあり、駅から徒歩で轟水源まで行くのは遠い。
宇土城跡から水源までなら西へ1km、徒歩で20分といったところ。
自転車か車で訪れるのが便利か。無料の駐車場がある。
轟水源には複数の看板が立てられており、水源の歴史や、日本名水100選及び日本土木遺産に認定されていること等が説明されている。
水源は大小2つの池からなる。
上手側、1mほど高い場所にある小さめの池が水源本体。立ち入り禁止の柵がなされ、樹木に囲まれ鬱蒼と薄暗く、水が湧く様子を伺い見ることはできない。
下の大きめの池は、上手の池から滴る水を汲む水汲み場であり、子どもたちの格好の遊び場だ。
どこでもそうだと思うが、綺麗な水を湛えている小さなプールを見ると、子どもたちは大フィーバー。夏場は足をつけて水を跳ね飛ばしたがる。綺麗な水にテンションがあがるのは、水が人間に喜びを与える存在だからなのか、心和む眺めである。
30年ほど前は(看板に書かれている通り)、1日に6千トンほど湧出していたのだろう、轟音を立てて水があふれだしていたような記憶がある。
現在でも絶え間なく水が流れ出しているものの、轟音とまではいかない。しかし、すでに自噴もできなくなって久しいほかの水源地に比べれば、かなりまともな様子である。
気になるのは、「水は必ず煮沸して使用してください」という注意書きだ。
城跡の方に戻った道端にあったトマトの販売所で聞いてみると、地元の人らしきお客さんはそんな看板は知らなかったと言う。
「そんなこと言うたかて、私たちあの水ばそのまま水道で飲みようもんね」
轟水源の湧水を利用した水道は轟泉水道といい、江戸の昔から改修を重ねながら現在に受け継がれている。現在も80戸ほどが利用しているという。お客さんの家は、そのうちの一戸らしい。
トマト販売所の店主は、もう少し考え深げだった。
「水源の上には屋根がないから。だから(雨水とか入るから)じゃないかね」
水源の先にある資料館で庭掃除をしていたおじさんは
「白山の反対側の方ではミカン栽培が盛んだから。だいぶ農薬を撒いとるとじゃなかか。そっが混じっとるからじゃなか」
近年、畜産によるし尿等の地下水への混入が問題になったり、農薬の過剰施肥による硝酸性窒素の地下水汚染が問題になったりしている。しかし、農薬等が混入しているとして、煮沸したぐらいでどうにかなるものなのだろうか。
私が滞在した30分ほどの間、穏やかな土曜の午後であったが、水を汲みに来た人は一人もいなかった。
後日、宇土市役所に電話して「煮沸せよ」と書いてあるのはなぜか聞いてみた。
最初は文化課に廻された。
文化課担当者「水質に問題はないのですが、一応念のため、用心のためかと思います」
なんの用心か問いただすと、担当部署が変わった。
商工観光課広報係「雨が降りますと、雨水や下水が入り込む恐れもありますので…」
トマト販売所の人と同じことをいう。
まあ、そうなのかな…と思いつつ、一応
看板はいつ頃、どんな経緯で立てられたのか聞いてみる。
商工観光課広報係「轟泉水道簡易組合の方でつけられましたので、こちらの方ではわかりかねます」
轟泉水道簡易組合は自治体の組織ではないので、市役所ではわからないと言う。
轟泉水道簡易組合の担当者に連絡を取ってくれると言ったが、その後連絡はなかった。
なんだか後日また電話をいただいたのだが、「どうしてこのような看板を立てるに至ったのか、記録はないのですか」と尋ねたら、「調べます」と言って、その人も電話を切ってしまった。
たらいまわし3人目。