熊本の水の話

坪井川周辺ほか、熊本の水源を散歩します

熊本の水源を歩く

次々と干上がっていく水源地。その変遷を歩きます

八景水谷公園

八景水谷公園の写真

八景水谷公園

八景水谷公園に隣接する坪井川。透明度は悪く、無数の泡が浮いている

 熊本市の北の水源として知られる八景水谷。水源の上に作られた八景水谷公園は、園内に広がる池と緑が美しい公園で、熊本市民の憩いの場所だ。

 

八景水谷 ( はけのみや ) / 熊本市の環境TOP / 熊本市ホームページ

 

 2022年現在、池水の深さは足の脛かそれ以下だが、1975年(昭和50年)頃までは、もっとも深い場所で腰の高さほどの水があり、夏は子供たちの格好のプールとなっていた。

 

 その昔、公園内にはいくつもの水飲み場があった。

 これは、よく銭湯などにあるような、蛇口のハンドルを回す(あるいはボタンを押す)と細い噴水のような水が噴きあがる、そういう給水器に似たものなのだが、ハンドルやボタンのようなものはなかった。

 上部のお椀型の受け皿の中央に、ただ飲み口として2本のパイプが挿してあるだけだ。そこから常時、水がチョロチョロ流れている。片方のパイプを指で押さえると、水の圧力で、もう一方のパイプからピュッと水が噴きあがる。公園の湧き水の自噴力を利用したもので、つまり当時、八景水谷公園の水は、湧水をそのまま飲み水にできたほど水質が良かったのである。

 

 当時は、隣接する坪井川にも、もちろん泡なんか浮いていなかった。

 

 実際、八景水谷公園は、熊本の上水道発祥の地でもある。

 熊本市の水道は、1950年代まで八景水谷の水に依存していた。しかも、わずか6mほどの浅井戸から市全域への供給だったのである。驚くほどの水の豊富さである。

 

 そして、坪井川に沿って水田地帯が広がっていた。

 

 昭和の中頃まで、坪井川には米を搗く水車小屋が点在していた。

 ちょっとした湧水の泉も周辺にあって、農家が野菜を洗ったり、近隣の主婦が洗濯に来たりしていた。

 

 江戸時代には、藩主細川綱利公がこの地に茶屋を造り、熊本城から坪井川を船で遡って遊びに来たという。

 

 まさに、里を水が潤し流れる土地。

 

 綱利公は、当時の八景水谷の様子を漢詩に詠んで称えている。

 

三嶽青嵐(さんがくせいらん) 夏は立田山に連なる山々から吹き下ろす風

金峯白雪(きんぽうはくせつ) 冬は金峰山に積もる雪

熊城暮靄(ゆうじょうぼあい) 春は夕暮れ時 もやに包まれる城

壺田落雁(こでんらくがん) 秋は田に降りていく雁

浮島夜雨(うきしまよさめ) 池の浮島の上に降る夜雨

龍山秋月(りゅうざんしゅうげつ) 龍山に名月を待ち

亀井晩鐘(かめいばんしょう) 夕暮れ時に亀井寺の鐘の音を聞く

深林紅葉(しんりんこうよう) 林は深く、紅葉が美しい

 

 どれほど美しい場所だったか。

 

 現在の公園も、よく整備されていて一見、美しく見える。

 しかし、園内の池は自噴する力を失って久しい。現在も池に水があるのは、ポンプで水を汲み上げて池に流しているからだ。かつて子どもたちがプール代わりにしていた池は干からびて、ただ枯れ葦の原が広がるばかり。

 公園内の水場もほとんど撤去されてしまった。

 残っている水場も、今や湧き水ではなく水道水であるが…。

 

 わずか半世紀も経たないうちに、一つの水源の自噴能力が失われた。

 現在も上水道の水源としての役割は果たしているというが、17mの浅井戸と200m超の深井戸になっている。

  いったい、どこで、なんのために使われて水は消え去ったのか。

  

 

 

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