NHK特集「誰も知らない日本の枯葉剤」 高知四万十川~熊本坪井川まで
2022年1月21日に放送されたNHK番組「誰も知らない日本の枯れ葉剤」をご覧になっただろうか?
「枯れ葉剤」は、ベトナム戦争(1960年~1971年)で使われた化学兵器である。ベトナムのジャングルに潜んで、粘り強く抵抗を続けるベトナム人民軍兵士に業を煮やしたアメリカ軍は、ベトナムのジャングルを林業用除草剤で丸ごと枯らすという作戦に出た。その時に使用された薬品が枯葉剤、通称2,4,5-T(ニイヨンゴティー)、2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸である。
2,4,5-Tには、猛毒のダイオキシンが含まれており、その毒性は青酸カリの1万倍とも言われる。
ガンや奇形の原因にもなる。
この2,4,5-Tを製造に加担していたのが三井化学大牟田工場。
ベトナム戦争の終結後、大量の在庫を抱え、いったんは農薬(除草剤)として登録したものの、毒性の強さから使用中止となり、残った大量の薬品は全国の国有林に、コンクリートで固められて埋められていった。
50年後の今日、固めたコンクリートが劣化し、薬剤が山林に漏れ出すことが懸念されている。
さらに問題を深刻にしているのが、埋設時に既定の分量や処理方法が守られず、あちこちの山林に、定められた数倍の量が埋まっていることである。
番組では冒頭から熊本県天草市の山中にある埋設場所が紹介される。その他、芦北、福岡の那珂川市、佐賀の吉野ケ里ほか、2,4,5-Tが埋設されている場所は九州だけで19か所に及ぶという。
埋設場所のリストを見ていた私は目を疑った。熊本県北部町とある。
熊本県北部町は、市町村合併があって現在では熊本市。平成2年までは飽託郡北部町であった。まさに坪井川源流がある、あのあたりである。
かつてはいざ知らず、現在では市街地といっても差し支えない、あんなところに猛毒のダイオキシンを含有した2,4,5-T が埋められているのだろうか?
しかもリストには「量」と書かれている。これは、規定の数倍の量が埋まっているということだ。ただでさえ毒性が高いのに、トン単位で埋まっている可能性がある。
先日、訪れた時に感じたが、坪井川は大事にされていない。
ホタルが舞い、セリを摘むことができた清流の小川は、用水路にされると同時に水量が激減して澱んだ。
かつての水源の上には、無数のビニールハウスが立ち並び、主にスイカを作っているのだという。植木のスイカは全国的に有名だが、植木町は知る人ぞ知る、日本の三大地下水汚染地帯だ。さらに北の方には工業団地もある。
ビニールハウスの隙間の土地には、産廃や建設廃土の処分場が入っており、
周辺の山中には2,4,5-T。
これだけ揃っていると、組織的な意図すら感じる。
ここは汚してよいエリアという認識なのだろうか?
先日、四国の四万十川を見に出かけた。四万十川も綺麗な川なのだが。。。
その四万十川の中流域(といっても、結構な山中なのだが)に松葉川温泉というところがある。
松葉川温泉の前をバス路線と同じように通りすぎて、突き当たったT字路を右折すると、どんどん山中に迷い込んでいく。
ふと、妙な景色の場所に出た。山の斜面一面が白く枯れている。
ちょうど、海の中でサンゴが死んで白化したサンゴ礁のような。異様な景色である。
これはもしかして、2,4,5-Tが漏れ出しているのでは…、
しかし、全国的に清流として有名な四万十川の近くに埋めるだろうか…。
ネットでリストを確認すると、四万十町の名前があった…。
赤旗新聞の記事↓ 記事中に埋設場所のリストがあった。
なるほど、NHKの番組内で、行政が「年に1回「目視」で確認している」と言っていたのは、これか!
と、納得がいく。
漏れ出していたら、周辺の山林が白骨のごとき枯れ林になるわけか。
しかし、廃棄が決まった当時、確か、水源の近くには埋めるなという通達だったのでは、、、と記憶しているのだが、
まったく意に介されていない。そもそも処分方法や処分量も守られていないのだから、なにもかも守られていないのだろうか。どうしてそんなことに…
ちなみに、その夜、私は喉が痛くなった。
山中だったので、うっかりマスクを外していたのだ。
2,4,5-T の埋設に携わった営林署の職員の中にはガンに倒れた人も多いと番組で紹介していた。
現代にこれほどガンが多いのは、汚染物質に触れる機会が増大しているせいではないのか。
今や環境を壊さないということが最優先の時代だ。
無秩序な開発や行政の都合が優先された時代は、もはや時代遅れ。
安く処分したつもりで、物言えぬ人々に多大な不利益を押し付け続ける現状を、どうにかできないものなのだろうか。
枯葉剤がかつての北部町のどのあたりに埋められているのか、はっきりとはわからない。
だが、2,4,5-T を封じ込めたコンクリートが劣化を始めるほどの年月が経った現在、漏れ出さないという保証はないのではないだろうか。
はじめに
熊本の水源地を歩こうと思い立ったのは、我が故郷、八景水谷の激変ぶりを肌で感じていたためだ。
八景水谷水源地といえば、江戸時代に細川綱利公のお茶室があったことで知られる。
公は、船に乗って坪井川を遡り、熊本城から八景水谷へ通われた。
明治時代に入ると、熊本市に上水道を通すことになり、その水源地に選ばれたのが八景水谷だ。八景水谷の農民たちは、そんなことをされては水がなくなると、焼き討ち事件まで起こした。しかし、熊本市全域の水道の水源とされても、当時は心配されたほどに水は減らなかったようだ。
ここまでのことは、私は書物でしか知らない。
時代は下って昭和50年代。八景水谷にまだ水はあった。清らかな水が自噴し、人々の喉を潤し、池の水量は大人の腰ぐらいまであった。池には美しい水草や綺麗な小魚、川エビ、アメンボ、色々な生き物がいた。そして、ホタル。初夏には驚くほどたくさんのホタルが乱舞していた。
ところが、昭和60年代に入る前に突然ホタルが消え、水も引いた。
八景水谷公園ばかりでなく、周辺の水源の水もばったりでなくなった。
周囲の大人たちに私は聞いた。「なぜ水が出なくなったの?」と。
大人たち曰く「都市化して近代化したから」「人口が増えたから」。
大人たちもはっきりとはわからないようだったが、私はなんとなく納得するしかなかった。「そういうものなのだ」と。
しかし、子ども心におかしいと思った。これらの変化は、徐々に起こったのではなかった。私の記憶が正しければ、わずか数年のうちに起こったのだ。
そして、昭和から平成を越え、令和に入った現在。
八景水谷公園の池にはまだ水がある。ポンプで地下から水を汲み上げて流しているからだ。しかし、一見の美しさとは別に、かつて水源地で見ることができた、小さな生き物たちを見かけることはないように思う。池も水量が少ないせいか澱みがちだ。
そして、たまたま熊本の他の水源地に行く機会があったのだが、水がなくなっていることに驚いた。記録ある限り、百年以上も変わらず水を湛えてきた水源の水が止まっている。
いったい熊本に何が起こっているのだろう。
ネットで調べてみても、例えば坪井川について調べてみると、ウィキペディアに載っているのは、加藤清正時代の坪井川の大改修だ。昭和にも大改修はあったし、平成にもあったろう。そこはサクッとスルーして、いったいいつの時代の話ばかりしているのか。
「熊本の水は地下水だから安心・安全」「地下水だから美味しい!」などと、行政のスローガンは喧しい。だが、実際のところどうなのか?
私は歩いて調べてみることにした。
TKU「未来へつなぐ 熊本の水 ~A Bridge to the Future~」
3月21日春分の日。
来月行われる水サミットを意識したものか、TKUで「未来へつなぐ 熊本の水 ~A Bridge to the Future~」という番組が放送された。
番組趣旨は、「みんなで大事な地下水を守ろう!」で、そこに全く異論はないのだが、熊本行政が出す情報にはアバウトなものが多すぎてうんざりする。
例えば、番組表には、
「“蛇口をひねればミネラルウォーター”と称えられる熊本の水」
と、大仰な煽り文句が書かれているのだが、熊本の地下水に不安を感じ始めた身としては、
「そりゃいつの時代に、誰から称えられたのか、主語その他をはっきりさせろい!」
とツッコミを入れたくなる。
今でもそうなのか、50年前にそう言われていたという話なのか、では大違いだ。
番組の冒頭、水道水と市販のミネラル水を比較して、「熊本の水はミネラルがこんなに豊富です!」とチャートが掲げられる。
実際、我が家では水道水でフライパンを洗ったあと、火にかけると真っ白に水の跡が残っていた。
私は熊本から京都に出て、また熊本に戻ったUターン組なのだが、久方ぶりに戻ってこの光景を見た時は、びっくりして水道局に連絡した。
なぜなら、私が以前に熊本にいた時には「そんなことはなかった」からである。
水道局からやってきた担当者は話を聞くと、「ああ、熊本の水は阿蘇の地下水ですから。シリカが豊富だからなんですよ~、安全、安全」と笑って帰ってしまった。
番組では、熊本の地下水が豊富な理由について、阿蘇の火山灰や砂礫層が、水が浸透しやすい地層だからと紹介していた。が、逆に言えば、地表の水が十分に濾過されないうちに地下水に到達してしまうとも考えられる。実際、5年~20年ほどの水だという。
熊本の水源井戸は、かつては地表まで自噴するほどに水が豊富だった土地柄ゆえか、せいぜい数十メートルの深さでしかない。数百メートル地下から何百年も前の水を汲み上げているわけではないのである。安心・安全な地下水と胸を張るには、もっと細心な水の管理が必要ではないのか。
水の話をする時に難しいのは、水は流れていくもので、日々様子が変わることである。
我が家の水道の水ですら、真っ白に水跡が残る日もあれば、気になるほどでもない時もある。「今日は案外いい水だな」という日もあれば、「なんだか今日はベタベタして変だ」という日もある。
そのため、確定的なことを言うことが難しい。昨日は様子がおかしかったが、今日は常態に戻っていました、ということもよくあるのだ。
これは地下水ばかりでなく、河川や池も同じことだ。
また、先月当ブログでも訪れた、島崎の水源地も紹介されていた。
water-kumamoto.hatenadiary.com
紹介されていたのは小山田の井川だったが、井川もかつてはもっと水が豊富に湧いていたという。今、流れる水はわずかだ。
テレビでは、水守さんたちが懸命に井川を清掃する様子を映し、「水を守らなければ」、という言葉だけがクローズアップされていたが、水守さんたちの真意は、「水をもとに戻してほしい」ということではないだろうか。
↑番組への感想は皆無。
坪井川源流
白川や緑川に比べると、熊本市民にすらあまり知られていない。
だが、熊本市の北、植木町と改寄(あらき)町の境界あたりに端を発し、八景水谷から熊本城、さらに有明海へと、熊本市中心部を北から南へと流れていく(熊本市にとっては)主要な河川だ。
その昔は豊富な湧き水があり、川底の綺麗な砂が動いているのが観測できた坪井川。
現在では、市の下水道を処理した水の放出先になっている。いや、熊本市のみならず、市を越境した菊陽町(の工場群)の下水処理水までも引き受けている。
そのため、川面には白い泡がプカプカ浮かび、見るからに汚らしい。透明度も下がった。
川の水(放出される下水の処理水を除いた、もともとの川の水)が減少する真夏には、悪臭漂う日もある。
もともとの川の水は年々減少し、今やこの川を流れる水の半分かそれ以上が下水の処理水であると目されている。
熊本北部浄化センターの下水処理水の放出路となっていることは、以前、少し書かせてもらった。
water-kumamoto.hatenadiary.com
ネットで坪井川を調べると、熊本県熊本市を流れ有明海に注ぐ二級河川として、以下のリンクのように説明されている。
Wikipediaの説明は、坪井川の記述として不十分極まりないのだが(とくに改修部分。昭和の改修なんて、もっと大規模で重要なものがあったろう!と言いたい)、、、。
さらに問題なのは、熊本北部浄化センターの件は、欠片も載っていないことだ。
(よく見たら「周辺の施設」の項目に、ちょろっと名前だけ載っている)
ちなみに、処理水を坪井川に1日6万t以上放出している(そして、その中に菊陽町のセミコンテクノパークなどの排水が含まれている)ことは欠片も出てこないし、熊本北部浄化センターのHPにも載っていない。
不誠実だなと思う。
川底からもあちこちに湧水があり、本来は美しい川である坪井川なのに、この浄化センターの処理水が大量に流入しているが故に、せっかく下水道整備が整っても、汚れていく一方の坪井川だ。
では、浄化センターより上流の様子はどうなのだろう?
処理水が流入する前の川は、以前と同じく美しく保たれているのだろうか?
そもそも源流はどこなのだ?
一度、源流を見てみようと思った。
熊本市の公式HPによると、改寄町(あらきまち)にある「水口(みずぐち)」という場所らしい。
坪井川はHIヒロセのあたりで飛田バイパスの下を通り、ゴルフ練習場の脇を通って熊本北部浄化センターの方へ流れていく。
浄化センターの脇を過ぎると、川幅はぐっと狭まり、そのうちにまるで用水路のような小さな川になる。
田の中を縫うように流れているので、川筋をナビで確認しながら車で走らせていく。
立石区公民館(熊本県熊本市北区改寄町1690−1)のちょうど裏あたりのようだ。公民館に車を停めさせてもらって歩くことにする。
民家とビニールハウスの間の細い道を歩くと、左手に下っていく坂道がある。
この坂を下って左手に、「立石大神宮」という古びてはいるが由緒ありげな神社があり、さらにずっと下っていくと水源池とされる「水口」がある。
残念だが、湧水地とはいうものの、水はほとんど湧いている気配はなく、池は澱んでいる。
池の周辺は水路で囲まれ、池には木道を渡るのだが、池同様にどんよりとさびれた雰囲気はは否めない。熊本市が立てた「熊本水遺産」の標柱だけが、ここが水源であることを示している。
…しかし、納得がいかない。
湧いていない川の水がなぜ流れているのか。しかも、周囲に巡らせた用水路状の川筋はまだ先へと続いていて、水が流れてくる。
流れてくる水を遡って、道を戻っていくと、近隣の人らしい女性に出会う。
「坪井川の源流を知りませんか?」
それなら…と案内してくれたのは、先ほど通った立石大神宮の裏手だ。そこにわずかだが水が流れており、さらに道路の下をくぐって用水路のように三方を固められた水路が続いていた。
「ここですか?」
「昔はもっと水が流れていて、このあたりでセリなんかも摘めたんだけど…」
「40年ぐらいも前かなあ、水路にする工事をしてね。それから間もなくして水量が減って。ホタルもいなくなってしまって」
「湧水口はその土手の下あたりだったけど。もう全然水はないわね」
写真に写っているパイプのあたりから水がチョロチョロ流れていたので、
「これは山から染み出ている水ですか」
と聞いてみる。
「あ、それはそこの民家の生活排水」
「エッ!」
確かに少し臭うかも?
そういえば、熊本市の下水道普及率は令和元年度で89.9%だったのであった。
なぜ坪井川は大切にされないのだろう。
かつての水源から土手の上を眺めると、無数のビニールハウスが並んでいるのだった。
これらは多くがスイカのビニールハウスというが…
全国的に有名になった植木スイカ。この水源周辺の植木町では、ほかにも多様な農産物を作っている。
一方で、植木町と言えば、日本三大地下水汚染地帯の1つと数えられている。このことを、熊本の人はほとんど知らない。
植木では、豊富(だった)水資源をジャンジャン使って、生産量を上げるために農薬をバンバン使い、地下に染み込んだ水は汚染されていった、ということだろうか…。
そして下流の八景水谷は干上がり、状況を知っている役人は、どうせ汚れていると坪井川を下水の処理に使い、さらに環境はどんどん汚れていく…。
そういう負のサイクルが生まれているのではないだろうか…。
島崎
地域の人が集まって、米を研いだり野菜を洗ったり、洗濯をした湧水が島崎にあると聞いて行ってみた。しかも現役だという。
かつて「晒し場」と呼ばれていたその場所は、現在では「延命水」と呼ばれているようだ。観光名所「三賢堂」の前だと聞いてきたのだが、それらしい湧水は見当たらない。
「三賢堂」の門が開いていたので入ってみる。
左手に立派な日本家屋がある。が、人の気配はない。こういう場所では入場料を取られそうなものだがと、声掛けしてみるが、無人である。
背後の石段に「三賢堂」の小さな看板があるのに気付いた。登っていくと、コンクリート造りの円筒形の建物がある。
初見の印象は「納骨堂かな…」。
金属製の、大きくて重い扉は閉まっていたが、しかし、他にそれらしい建物もないので試しに引っぱってみると開いたので、声掛けしてみるが、やはり誰もいない。
天井は丸く、高い。床は寄木細工で飴色に光り、大きな2本の円柱が黒く光るタイルで飾られている。2階へはらせん階段が続き、電燈はアンティーク、案外と素敵なところである。
正面奥に3つの扉があり、開けると中には三賢堂の三賢人、菊池武時、加藤清正、細川重賢の木彫がある。扉を開けた途端、ふわりとなんとも奥床しい香が漂う。
おそらく香木で作られている。惚れ惚れと見入っていると、
「何をしているんですかっ!」
犬を連れた女性に怒られてしまった。
聞けば、事前に熊本市役所の文化財課に連絡して予約しないと見学できないという話。今日はたまたま清掃の業者が入ったので鍵を開けていたとのことであった。
「それはラッキーでした」と言うと、苦笑いされていた。
「晒し場」の情報を聞くと、ここの斜め前だと言う。
見当たらなかったが、と首を傾げると、連れて行ってくれた。
門を出てすぐの道に、石を組んだ水路がある。
「えっ、ここですか?(排水溝かと思った…)」
水がどんよりと溜まっているだけで、とても湧水には見えない。
が、これが湧水だと女性は胸を張って言う。
これを飲むのかとおそるおそる聞くと、
今は飲んでいないという。
「以前は透明で、コーヒーを淹れるととても美味しかったものだけどね…」
「熊本地震の影響で濁ったんですか?」
「いえ、地震のあとも綺麗な水だったけど、2年ほど前に道路で下水道工事があって、それ以来。今でも週に1度は清掃活動をしているけど、水質が戻らなくて」
粗雑な工事もあったものである。地元の人は市を訴えないのだろうか。
実際、三賢堂の向かいは道路を挟んで川が流れているのだが、その川を流れる水は(水量は多くないものの)澄んでいる。川に掛かる橋を渡ると、山側で、山肌から流れ出る水が小さな泉を作っており、こちらの水は(飲めるのかどうかわからないが)濁ってはいなかった。「少年の家跡地湧水池」の看板があった。
八景水谷公園
熊本市の北の水源として知られる八景水谷。水源の上に作られた八景水谷公園は、園内に広がる池と緑が美しい公園で、熊本市民の憩いの場所だ。
八景水谷 ( はけのみや ) / 熊本市の環境TOP / 熊本市ホームページ。
2022年現在、池水の深さは足の脛かそれ以下だが、1975年(昭和50年)頃までは、もっとも深い場所で腰の高さほどの水があり、夏は子供たちの格好のプールとなっていた。
その昔、公園内にはいくつもの水飲み場があった。
これは、よく銭湯などにあるような、蛇口のハンドルを回す(あるいはボタンを押す)と細い噴水のような水が噴きあがる、そういう給水器に似たものなのだが、ハンドルやボタンのようなものはなかった。
上部のお椀型の受け皿の中央に、ただ飲み口として2本のパイプが挿してあるだけだ。そこから常時、水がチョロチョロ流れている。片方のパイプを指で押さえると、水の圧力で、もう一方のパイプからピュッと水が噴きあがる。公園の湧き水の自噴力を利用したもので、つまり当時、八景水谷公園の水は、湧水をそのまま飲み水にできたほど水質が良かったのである。
当時は、隣接する坪井川にも、もちろん泡なんか浮いていなかった。
熊本市の水道は、1950年代まで八景水谷の水に依存していた。しかも、わずか6mほどの浅井戸から市全域への供給だったのである。驚くほどの水の豊富さである。
そして、坪井川に沿って水田地帯が広がっていた。
昭和の中頃まで、坪井川には米を搗く水車小屋が点在していた。
ちょっとした湧水の泉も周辺にあって、農家が野菜を洗ったり、近隣の主婦が洗濯に来たりしていた。
江戸時代には、藩主細川綱利公がこの地に茶屋を造り、熊本城から坪井川を船で遡って遊びに来たという。
まさに、里を水が潤し流れる土地。
三嶽青嵐(さんがくせいらん) 夏は立田山に連なる山々から吹き下ろす風
金峯白雪(きんぽうはくせつ) 冬は金峰山に積もる雪
熊城暮靄(ゆうじょうぼあい) 春は夕暮れ時 もやに包まれる城
壺田落雁(こでんらくがん) 秋は田に降りていく雁
浮島夜雨(うきしまよさめ) 池の浮島の上に降る夜雨
龍山秋月(りゅうざんしゅうげつ) 龍山に名月を待ち
亀井晩鐘(かめいばんしょう) 夕暮れ時に亀井寺の鐘の音を聞く
深林紅葉(しんりんこうよう) 林は深く、紅葉が美しい
どれほど美しい場所だったか。
現在の公園も、よく整備されていて一見、美しく見える。
しかし、園内の池は自噴する力を失って久しい。現在も池に水があるのは、ポンプで水を汲み上げて池に流しているからだ。かつて子どもたちがプール代わりにしていた池は干からびて、ただ枯れ葦の原が広がるばかり。
公園内の水場もほとんど撤去されてしまった。
残っている水場も、今や湧き水ではなく水道水であるが…。
わずか半世紀も経たないうちに、一つの水源の自噴能力が失われた。
現在も上水道の水源としての役割は果たしているというが、17mの浅井戸と200m超の深井戸になっている。
いったい、どこで、なんのために使われて水は消え去ったのか。
water-kumamoto.hatenadiary.com
轟水源(宇土)
熊本市中心部から国道3号を南へ車で30分ほど、天草への玄関口にあたる宇土市。
ここに「現存する日本最古の上水道」、轟(とどろき)水源はある。
水の土木遺産:轟水源と轟泉水道 | 一般社団法人九州地方計画協会
標高約220mの白山山麓に湧いており、周辺は格好のハイキングコースだ。
宇土はかつての城下町でもある。
江戸時代に細川支藩3万石が置かれたが、海に近い宇土藩は水に困っていた。
そこで、2代目細川行孝が轟水源から城下4.8kmに及ぶ水道を引いた。1663年のことである。
宇土駅はかつての城下町から外れた場所にあり、駅から徒歩で轟水源まで行くのは遠い。
宇土城跡から水源までなら西へ1km、徒歩で20分といったところ。
自転車か車で訪れるのが便利か。無料の駐車場がある。
轟水源には複数の看板が立てられており、水源の歴史や、日本名水100選及び日本土木遺産に認定されていること等が説明されている。
水源は大小2つの池からなる。
上手側、1mほど高い場所にある小さめの池が水源本体。立ち入り禁止の柵がなされ、樹木に囲まれ鬱蒼と薄暗く、水が湧く様子を伺い見ることはできない。
下の大きめの池は、上手の池から滴る水を汲む水汲み場であり、子どもたちの格好の遊び場だ。
どこでもそうだと思うが、綺麗な水を湛えている小さなプールを見ると、子どもたちは大フィーバー。夏場は足をつけて水を跳ね飛ばしたがる。綺麗な水にテンションがあがるのは、水が人間に喜びを与える存在だからなのか、心和む眺めである。
30年ほど前は(看板に書かれている通り)、1日に6千トンほど湧出していたのだろう、轟音を立てて水があふれだしていたような記憶がある。
現在でも絶え間なく水が流れ出しているものの、轟音とまではいかない。しかし、すでに自噴もできなくなって久しいほかの水源地に比べれば、かなりまともな様子である。
気になるのは、「水は必ず煮沸して使用してください」という注意書きだ。
城跡の方に戻った道端にあったトマトの販売所で聞いてみると、地元の人らしきお客さんはそんな看板は知らなかったと言う。
「そんなこと言うたかて、私たちあの水ばそのまま水道で飲みようもんね」
轟水源の湧水を利用した水道は轟泉水道といい、江戸の昔から改修を重ねながら現在に受け継がれている。現在も80戸ほどが利用しているという。お客さんの家は、そのうちの一戸らしい。
トマト販売所の店主は、もう少し考え深げだった。
「水源の上には屋根がないから。だから(雨水とか入るから)じゃないかね」
水源の先にある資料館で庭掃除をしていたおじさんは
「白山の反対側の方ではミカン栽培が盛んだから。だいぶ農薬を撒いとるとじゃなかか。そっが混じっとるからじゃなか」
近年、畜産によるし尿等の地下水への混入が問題になったり、農薬の過剰施肥による硝酸性窒素の地下水汚染が問題になったりしている。しかし、農薬等が混入しているとして、煮沸したぐらいでどうにかなるものなのだろうか。
私が滞在した30分ほどの間、穏やかな土曜の午後であったが、水を汲みに来た人は一人もいなかった。
後日、宇土市役所に電話して「煮沸せよ」と書いてあるのはなぜか聞いてみた。
最初は文化課に廻された。
文化課担当者「水質に問題はないのですが、一応念のため、用心のためかと思います」
なんの用心か問いただすと、担当部署が変わった。
商工観光課広報係「雨が降りますと、雨水や下水が入り込む恐れもありますので…」
トマト販売所の人と同じことをいう。
まあ、そうなのかな…と思いつつ、一応
看板はいつ頃、どんな経緯で立てられたのか聞いてみる。
商工観光課広報係「轟泉水道簡易組合の方でつけられましたので、こちらの方ではわかりかねます」
轟泉水道簡易組合は自治体の組織ではないので、市役所ではわからないと言う。
轟泉水道簡易組合の担当者に連絡を取ってくれると言ったが、その後連絡はなかった。
なんだか後日また電話をいただいたのだが、「どうしてこのような看板を立てるに至ったのか、記録はないのですか」と尋ねたら、「調べます」と言って、その人も電話を切ってしまった。
たらいまわし3人目。